2012.10.12(金)夜8時45分からFM垂水(77.7Hz)で放送されます。
むかし 桜島のあたりに 鱶(ふか)九郎という人さらいがいました。このあたりの美しい娘を さらっては あちこちの港に売りさばいていました。いつも手下を十数人連れて 今日は東、明日は西に突然現れては娘をさらっていくのです。人々は 大層恐れていましたが どこに住んでいるのか どんな顔をしているのか知る人は全くなく、ある人は遠く離れた島に住むと言い、ある人は近くの人も入らぬ入り江だろうと、口々に噂をしあっているだけでした。
ある月のきれいな夜のことでした。鱶九郎一族は、どこで さらってきたのでしょうか十二人の娘を乗せて、夜中に船を出しています。船の中では娘たちは泣き続けましたが その泣き声は波の音と櫓を漕ぐ音にかきけされました。その娘たちを乗せた船は敷根あたりの入り江に入って行きました。その夜はとても静かな夜で月が朧にかかり、水面はどこまでも静かで波一つ立っていませんでした。風が全くないので帆を上げることができませんでした。そこで鱶九郎は手下たちに船を漕がせて桜島と早咲の間の海峡を海潟沖に向けてギッコラ、ギッコラと進めました。しばらく船は静かに進んでいましたが、丁度瀬戸海峡を抜ける頃から急に霧が立ち始め、みるみり内に月も海も すっぽり包み込んでしまい前が全く見えなくなったのでした。
この瀬戸の海峡は流れも速く溶岩が飛び出したり、かと思うと浅瀬があったりと、とても危険な場所なので、鱶九郎は気が気ではありません。しかし鱶九郎の心配をよそに船はどんどん流されていきます。この霧の中では どっちへ漕いでいいか全く分からなくなり、すっかり困ってしまいました。
みんなが不安と焦りで、ざわめいている中 一人の娘が船の先頭に立ち
「皆さん大丈夫です。私が案内するほうに船を向けてください。きっと助かります。」とみんなに向かって叫びました。その顔は優しく気品に満ち美しい娘でしたのでその不思議な力に包まれたみんなは、この娘の言うことを疑うことなく従いました。船の中にいた鱶九郎も出てきて、その娘の美しさに驚き思わず
「この弁天様の言うとおりにせよ!」と手下に命じました。右に左に娘の案内するほうに船を向け一生懸命漕ぎました。
どのくらい漕いだでしょうか。娘が
「皆さんもうだいじょうぶですよ。流れから出ることができました。そのまま左に船をこいでください。」
みんなは長い時間流れに巻き込まれ、どこをどう漕いだかわからないままだったので藁をもつかむ思いで娘の案内に従ったのでした。こうして不安は ひとまず去りました。しばらく漕いでいると
「近くに島が見えます。岩があちこち飛びだしていますので、気をつけてください。そのうちに霧も晴れてくるでしょうから この島でしばらく待ちましょう。」
時々船底を擦りながら進んでいくと砂浜が見えてきました。船は砂浜に船底をのめりこませながら止まりました。鱶九郎たちは全員甲板に出て心配そうに外を眺めました。
「みなさん 安心してください。この島の神様が きっと皆さんを助けてくださいます。私は島の様子を ちょっと見てきます。」というと弁財天を祀る神社へと消えてしまいました。鱶九郎は この逃げた娘のことが気になりましたが、この島から出るには この船がなければ出られないので、そのうち帰ってくるだろうと霧が晴れるのを待ちました。手下たちは一晩中船を漕いでいたので、すっかり疲れ見張りだけを残し船のあちこちに横になり眠ってしまいました。見張りは眠い目を擦りながら やっとの思いで起きていました。
霧もだんだん晴れてきて、月の明かりが輝き始めました。一番鳥が鳴き、しばらくすると あちこちでニワトリが鳴き始めました。東の空が明るくなってきました。見張りが ふと左手のほうを見ると対岸の松の木がはっきり見え その陰に4,5艘の船が この島に向かって矢のように近づいてくるのが見えました。弓矢をかざした役人が船の先頭に立っています。見張りは慌てて仲間に知らせましたが役人たちを乗せた船はすぐに鱶九郎一族の船を取り囲んでしまったのです。
そして人さらいたちは一人残らず捕えられ、さらわれた12人の娘たちは全員助けられました。ところがみんなを救ったあの娘の姿がありません。役人たちが手分けをしえ島中を探しました。しかし、くまなく探しても娘は見つかりませんでした。あと残るは弁財天の小さな お社だけです。中を調べてみると その中に像が一体祀られていました。そのお姿を見た娘たちは驚きました。そのお顔が あの娘にそっくりだったのでした。
「このお像の方は あの女の人にそっくりです。」娘たちもそこにいた役人も
「ここの弁財天様がみんなを救ってくださのに違いない。」と口々に言いました。鱶九郎は あの娘が弁財天様とは知らずに偶然呼んだのでしょうが、それが本物の弁財天様だったのでした。娘たちは全員手を合わせ深々と頭を下げました。こうして娘たちは無事親元へ帰されたのでした。

おしまい
弁天島は今では江の島と呼ばれています。安土桃山時代の公家近衛のぶただ公が ここを訪れた時 この入り江の美しさと のぶただ公が棲む相模の国(現在の神奈川県)の江の島に似ていることから ここを何度も訪れ江の島と呼んだそうです。